夢発信人倶楽部について

夢発信人倶楽部は、京都府の片田舎・城陽市に事務所を構える駆け出し行政書士・中野嘉久が運営するサイトです。


夢発信人倶楽部という名称は、1984年に京都市円山野外音楽堂にて行われた宇佐元恭一さんのコンサートより拝借しました。


夢発信人倶楽部とは、当時KBS京都で放送されていた「ハイヤングKYOTO」日曜日DJ鈴置雄三さん(株式会社サウンドクリエーター社長)の、駆け出しシンガーソングライターである宇佐元恭一さん(同木曜日DJ)が円山野外音楽堂で行うコンサートに3,000人を動員しようという呼びかけに応えたボランティアスタッフに与えられた名称でした。


当時は今のように、ブログやSNSといった便利な情報発信ツールはありませんでした。携帯電話すらありませんでした。かといって駆け出しシンガーソングライターである宇佐元恭一さんに多額の広告費を工面してくれるスポンサーがいる訳もなく...。ないないずくしのイベントでした。


今にして思えば無謀な企画。当時は宇佐元恭一さんも「崖っぷち」だったのかな?と思う反面、鈴置社長って、「やり手だったんだぁ〜」と関心したりします。


とにかく9月に行われるコンサート当日までの間、ボランティアスタッフは自分の住む町の随所を駆け回りイベントの告知、ポスター掲示のお願い、友人知人へのチケット販売活動を続けました。あっ、チケット販売にノルマなんてものはありませんでした。今風にいえば「口コミマーケティング」なんて呼ばれるのかもしれません。


で、コンサートの方は、3,000人以上の動員に大成功!大盛況のうちに幕を閉じた事を覚えています。活動は全て無償でしたが、多くの「ワクワク」を頂きました。


行政書士として独立開業を決心したとき、何故だかこの時の思い出が鮮明によみがえり、運営するサイトの名称に「夢発信人倶楽部」と命名しました(著作権には抵触していないと思います)。


行政書士としての中野の活動は、全て「あなたにワクワクをお届けするため」に行います。しかし一介の行政書士である中野には、今はなだ知識も乏しく、あなたに提供できる行政書士サービスも限られたものしかありません。なので人の三倍駆けずり回り、あなたのご要望にお答えできるよう全知全能全ての技術を駆使し、努めていきたいと思っています。


そして行政書士業務を通じてご縁をいただけたあなたと、新たな「ワクワク」を求めることができればと楽しみにしています。
                                            平成26年5月26日
                                           行政書士 中野 嘉久


運営者紹介

運営者略歴

1969年  京都市生まれ
        秋山真之(軍人)高田延彦(格闘家)と同じ誕生日
1993年  ワシントン州タコマコミュニティーカレッジ卒業
2013年  中野行政書士事務所開業

アメリカで日本人に目覚める!

なんといっても「スクール☆ウォーズ」世代。高校時代は、ラグビー漬けの毎日。かといって伏見工業高校や花園高校、同志社高校といった名門校の門をたたく勇気もなく、地元で「なんちゃってラガー」を気取ってました。


高校卒業後は2年間のアルバイト生活にて資金を工面し、渡米。「フリーター」や「海外留学ブーム」のはしりでした。でも一大決心をして渡ったアメリカには、金満日本人、もっと金満な韓国人や台湾人が大勢を占めており、まるで「アジア留学」。


「これではいかん!」とすぐさま方向転換し、地元の人たちが通うコミュニティーカレッジへ転校。新聞広告で見つけた、アニメオタクのアメリカ人ポリスとベトナム人街の外れに一軒やをシェア。南アフリカ人がコーチをしていた町のラグビーチームに在籍し、3年間を過ごしました。


ルームメイトの計らいで、夜のパトカーに同乗し「警察24時」ごっこをしたり、ルームメイトの借金の取立てに怯えたり、ルームメイトの痴情ももつれに巻き込まれたり、ラグビーの練習で軍の施設に出入りできたりといった、貴重な体験を積ませていただきました。


同時にアメリカ人や近所のベトナム移民との交流が深くなるにつれ、自分の中の「日本人」を意識するようになってしまいました。今でもオリンピックやWC、WBCで君が代が流れると、目頭が熱くなり困っています。


そしてこの頃、「マイノリティー」として生活した経験から、単なる在留外国人の方々の許認可申請にとどまらず、「日本にやってきた外国人であるあなたが、これからも安心して日本に住み続けられるようなサポート業務に着眼しました。


ホント、アメリカで被告として裁判を受けたときは、心細かった...!

サラ金で世間を知る!!

「人に伝える仕事」がしたい!と大志を抱き、京都でタウン情報誌を発行していた会社へ就職。しかし配属されたのは消費者金融部門。幹部候補との名目でしたが...。所謂サラ金です。


母親は当然に大反対。でもまだまだウブだった中野は「いろいろな経験は「将来の糧になるはず」とサラ金でのキャリアをスタート。父親には特に何も言われなかったような...。


入社後直ぐに配属された店舗では先輩女性従業員達の上司となり、間もなく店長。そして終には5店舗をまとめる営業本部へと、仕事もろくにできない男に職責だけは重く圧し掛かってきました。


実は中野こそが「本業ではどんな努力も惜しまない人」だったのだと思います。当時の消費者金融業界では、貸金業規正法こそは施行されていましたが、先輩達のほとんどがイケイケドンドンの時代をすごしたツワモノたち。そんな先輩達に指導されて仕事を覚えたものだから、督促電話をしていた人がその数日後に自殺した事を聞かされたり、1DKに親子4人で暮らす家族の家財道具を差し押さえたりといった経験を積むにつれ、やはり本業を頑張れば頑張る程に人に幸せを与える事ができない仕事に疑問を抱くようになりました。


サラ金会社にはサラ金会社の正義があり、金銭的に破綻する人には破綻する人の理由ってのがあるんだけど...ね。


でも経済的弱者と呼ばれる人たちに、「正しい情報」が伝わらない状況には、強い疑問を抱きました。


結局勤めていた会社のお家騒動に巻き込まれて5年ほどで退職。人に「正しい情報」を伝える事を意識するようになりました。

広告業界で集客に目覚める!!!

消費者金融業界での知識を基に当時は一部マニアの知識であった「過払金返還請求」に着目。でも当時は、司法手続きといえば弁護士。「皆に正しい情報を伝えることができれば、経済的に破綻した人でも自己破産せず立ち直ることができるのに!しかも弁護士の高い報酬を気にすることなく!!」とモンモンとした日々を過ごしていました。


そんな折に、「司法書士が債務整理業務に乗り出している」との情報をキャッチ。司法書士といえば第三の法曹を自称する集団。司法試験には受験資格さえなく遠く及ばない中野でしたが、司法書士試験ならば受験資格だけはある...と安易に考え、アラサー受験生の誕生となってしまいました。


かといって、「結婚間もなく長男もうまれようか」という中野には、残念ながら専業受験生となる選択肢はありませんでした。「ならば!」と将来の開業を見据え、顧客獲得の修行をすべく営業職への転職を決意。どうせならばと広告代理店へ転職してしまいました。


受験生なんだから受験勉強に専念できる環境を作れば良いのに...。中野はホントにお馬鹿さんだったと思います。


でも人生というものはどう転ぶかは判らないもの。何と転職した先で、神田昌憲氏が提唱するダイレクトレスポンスマーケティングの薫陶を受ける事となりました。


「あなたの商品があなたを救ってくれることは、絶対にない」
「顧客がいなければ、どんな素晴らしい事業(理念)も立ち上がらない」
「日本で営業と呼ばれている活動には、マーケティングとセールスが同居している」


まさに「目からウロコ」の連続でした。氏の理論をモノにつべく、実践⇒検証の毎日。


でも広告代理店での最大の成果が、消費者金融会社の集客を目的としたテレマーケティング部門の立ち上げだったというのは、ちょっとした皮肉でした。中野が基礎を作ったテレマーケティング部門は、今や通信販売のインバウンド&アウトバウンド双方の機能を備えた部門として現在でも存在しているようです。

司法書士事務所で波に乗り遅れる!!!!

広告代理店で脳ミソに汗をかく毎日を過ごした結果、受験生としての時間はドンドン削られる状況に陥った。当たり前ですよね。


でも「初心忘るべからず」です。三度目の年男となった年からは、念願の司法書士事務所での修行を開始することができました。司法書士による債務整理業務もずいぶん市民権を得ているようす。正に好機到来。後は試験に受かるだけ。


が、好事魔多し。中野が司法書士事務所で修行を開始した頃より、過払金返還請求のブームが到来した。それも中野が得意な「農耕型マーケティング」ではなく、「狩猟型マーケティング」で大量の資本を投入したものだから、業界は空前の「過払金バブル」へと突入してしまいました。


当然業務は多忙を極め、終電帰宅が当然の毎日を過ごしていました。「狩猟型マーケティング」で獲得した顧客に「農耕型マーケティング」でフォローを重ねた結果、口コミでの紹介はいうに及ばず、不動産登記、会社設立、売掛金回収、相続...と、業務の研鑽は沢山積むことができました。ホント後は試験に合格するだけ...。仕事をこなせばこなすほどに増えていく受験回数にジレンマを覚えました。


すっかり世間の波に乗り遅れている間に、過払金バブルもまもなく終焉。仕事の減少とともに収入も減少。もともと業界の給与水準は、高卒女子の初任給程度のところ、中野の場合はコミッション込みの給与体系だったものだから、フリーターにも劣る給与の月も出始めてしまいました。


「これでは家族を養えない」と行政書士での独立を決意しました。

独立して世間の荒波にもまれる!!!!!でも今が天職

平成25年6月、中野行政書士事務所開設。「金なし」「コネなし」「経験なし」という三重苦からのスタートでした。


「中野の商品が中野を救ってくれることは、絶対にない」
「どんなに素晴らしい事業(理念)も、顧客がいないことには立ち上がらない」


と、行政書士業務での集客を実践中。答えを得るまであと一息...二息かな?資本力のない中野はできれば「農耕型」で結果を得れればと願っていますが、如何せん3人の子ども達を抱え直ぐにでも結果を出さなければならない「崖っぷち」の身分。不惑を超えてはじめて世間の荒波に揉まれています。


扱う商品は異なってきたが、中野の基本理念は不変です。


「人に伝える仕事」がしたい。
そして「あなたが知らなかったばかりに損をする事がないよう」


・毎年使っている広告費や店舗改装費にも助成金が出る可能性があるって事を知っていました?
・人を雇う時、わずかな手続きを踏むだけで、経費の一部を負担してくれる制度があるって知っていました?
・法人なりする時にこそ、補助金を受けられる可能性があるって事を知っていました?


中野のメイン業務である許認可申請のお客様に対してでも、行政書士業務を通じてご縁を持てたあなたへは、お伝えしなければならない情報が沢山あります。


・遺産分割協議を整えることができれば、相続登記に必要な書類の大半は準備できているって事を知っていました?
・登記申請書って、書類さえ整えば学生でも作成できるってしっていました?
・遺言でも犯すことのできない、相続人の権利があるって知っていました?
・そんな相続人の権利を配慮した遺言書作成のポイントって知っていますか?


争いのない相続は単なる手続き。そんな手続きの為に高額な報酬をドブに捨てるような真似はしてほしくありません。「差し迫った必要性もないから」と相続手続きを放置しているあなたへは、あなたに差し迫っている「危険」をお伝えしたいと思っています。


中野の全ての行動は「あなたに本業だけに汗を流せる環境」を得ていただく為に行います。


そして今後は、あなたの満足を得ることができれば、「許認可申請でご縁をいただけた不動産業者さんやリフォーム会社さんの集客のお手伝いをしてみない」なんて野望も抱いたりしています。


そこが中野が是非「正しい情報」をお伝えしたいと願っている「相続」に悩むあなたや「日本で暮らすあなた」の窓口になれば最高です。


なんだか考えただけで「ワクワク」してきます。


中野にとっては、今がまさに天職。今後は日々頂戴しているあなたとのご縁を大切に。中野にとってだけの「良縁」ではなく、あなたにとっても「良縁」となるよう、全知全能全ての技術を駆使し、努めて参ります。


共に「ワクワク」を共有しましょう。


お問い合わせ

夢発信人倶楽部〜中野行政書士事務所〜

〒610−0121
京都府城陽市寺田新池20番地の7
電話番号0774-66-2248  FAX0774-53-6222(24H対応)
Mail:info@bossykakyu.com

受付時間
 9:00〜12:00 ×
13:00〜17:00 ×
18:00〜21:00 × × ×

▲ページトップに戻る